私、大刀豊暁の個人的な想い

「人を笑顔にすることが自分の幸せ」

何がきっかけとなったかは覚えてはいないが、
幼少の頃からこの想いをずっと抱き続けている。

地域や人のために情熱を降り注いでいた
父の後ろ姿をいつも見ていたからだろうか。

何があっても笑顔を忘れない
母の優しさに毎日包まれていたからだろうか。

ただ、そのために何をすれば良いのかが、
齢四十を過ぎても具体的にはまだよく理解していなかった。


2014年12月、41歳にして初めての東南アジア。

これを機に、ラオスに始まりカンボジア、ベトナム、
フィリピンへ何度も赴くこととなるとは夢にも思っていなかった。

ボランティアと現地企業視察へ同行する機会を得て、
そこで初めて知った真の貧困。
まだストリートチルドレンがいることにも驚愕した。

「この人たちを救いたい」

という使命感が一気に沸きあがった。

「いや大刀くん。外国の人を支援する前に
日本人の貧困に苦しむ人を救いなさいよ。」

というご意見もいただいた。

しかし、日本人の貧困層は国からの恩恵があるが、
ここでは今日食べる物もなく飢えに苦しんで死を待つか、
悪人に利用されて犯罪に手を染める、といった子どもたちも多い。
現地の方からも話しを聞いてはいたが、
実際にそれを目の当たりにして更にこの決意が強まった。

各国で数々の孤児院や支援団体に訪れた中で
とある孤児院の院長さんが嘆いていたのが、
「ストリートにいた子どもたちに健全な心が育まれてきた最中、
継続的な支援が無いと施設運営もままならなくなると、
その子たちはまた路上に戻るしかなく、
そこで再び罪を犯し始めるしか生活する手段を持たない子らを
幾度となく目の当たりにしてきた。
それが本当に悲しいことなのだ」
ということ。

孤児院を運営する方々も
現地で稼いだお金の一部を運営費に回している。
いわゆる社長さんたちが身を削ってボランティアで養っているのだ。

親がいないから、また貧困であるから悪事に手を染める、
というわけでは決してなく、他人でもいいので、
彼らに「愛」を与えさえすれば犯罪には走らないのだそうだ。
外国からの支援団体の方々は「愛」を与える場も作っているのだと感じた。

一時的な支援は誰にでもできる。
ただ、そのお手伝いが継続的かつ確実にできる方法は
我々も現地で起業することが最良の手段だ。
会社を作れば雇用が生まれ、
その子達もお金を稼ぐことができる。
そしてその利益の一部を施設の支援として使う。

それは決して簡単なことではないが、
個人的に支援団体を通じて何年間も援助をし続けてきた経緯もあり、
現地へ出向いてゴミ山に埋もれた人たちの生活を目の当たりにしたことで、
「自らの手で何とかするのだ!」と決心が固まった。

また、国が近代化していくにつれ、
外資系の飲食店や食べ物などが入って来ており、
添加物や環境ホルモンによる疾患やガンが増えてきている。

若年層が外資系のお店に行けることにステータスを感じているので、
日本人が和食文化を失いつつあるのに比例して
病気が増えていくのと同じように、
今後益々東南アジア諸国でも病気になる国民が増えていくのは
目に見えて明らかだ。

いつまでも健康でありたいという想いは人類皆共通。

国が違えば問題は多種多様だが、
これまでのボランティア活動を通して
一石を投じることができたのだろうか。

下記は、2016年5月25日(水)、
3兄妹ソーシャルバンド『一途(イチズ)』さんたちと共に、
フィリピン応援歌「幸せをつくろう(Tayo nang magsaya)」を
パヤタス地区のお友だちと一緒に歌ったときの様子です。
(私はカホーンを叩いています)


最後に、良き友人や知人の助けを得て、
東南アジアを含めた海外視察の機会に恵まれていることに
深く感謝しております。

いつもお声かけをいただき、また色々と助けていただき、
本当にお陰様で有難うございます。

自分への忘備録としての意味も込め
時系列で海外視察の模様を過去記事にアップしていきますので、
こちらもまたよろしければご覧になってみてください。

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